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まっしーの貯蔵庫

思考のゴミ箱

これから直すこと1

今日の記事は、何の役にも立たないことである。僕にとっての備忘録である。

昨日、某所でプレゼンテーションをしてきた。おおよそ15分程度の発表に、5分の質疑応答を絡めたものである。
内容は、がっつり天文学である。「セファイド型変光星と銀河系内の恒星分布」という題目だ。

おおっと、ページを戻すでない。これ以上物理の話をするつもりはない。セファイド型変光星の話は後日しよう。

で、発表会後の懇親会で、指導教員の方にこんなコメントをいただいた。
「発表よかったよ、スライドの出来が秀逸だったし喋り方も大変よかった。今日のプレゼンの中でトップクラスではないだろうか」

酒入りすぎでしょ先生。僕はプレゼンの経験は今回でたったの3回目だぞ。そんなに上手だったのか?

問題はその後である。
「でも、一つだけ要望がある。語尾をはっきり喋ってほしい。
君の日本語は美しいのだけれど、それはプレゼンには不向きなのだよ」

んんん、”日本語が美しい”という表現、僕の嫌いな表現の一種だ。
僕の指導教員の話によると、ニュースのアナウンサーは語尾を弱めて喋るという。これは、語尾を強めて読むと視聴者がイラっとくることがあるからだそうだ。へえ。確かに言われてみるとわからんでもない。
僕の勝手な印象だと、関西の人は語尾をはっきりと喋る傾向にあると思う。これは関西弁の影響が強いと考えている。
一方、僕は(半分以上は)東北の人間なのだが、東北弁はそういった傾向は存在しない(ように思う)。

(補足)これは、語尾を強めるだの弱めるだの、そういう発音の仕方が東北弁では関係ない、という意味である。すなわち、語尾を強めようが弱めようが、東北弁の雰囲気に影響しない、という意味で”存在しない”という表現を使わせていただいた。

とりあえず、20年以上生きてきた結果として、僕は語尾を弱めてしまう癖を身につけてしまっていたようだ。それを「美しい日本語」と括られるのはたまったもんではない。
ということで、今後は語尾をはっきりと発音することを意識したい。そのために…何すればいいんだろう。腹に力でも入れておけばいいのかな。




さて、ここまで読んで「なんで美しい日本語が嫌いなの?」と思った方に向けて、その理由を述べたい。
簡単に言うと「”美しい”という主観的感情が、客観的に語るものとして使われているから」である。

”美しい”かどうかは個人の感じ方によるのに、まるで客観的に「これが美しい日本語というものなのだワッハッハ」と語っているのに対して腹が立ってくるのだ。貴様の感情を俺に押し付けるな。と。

(僕は「形容詞は主観的概念」と思っているのだが、これって、そうだよね?違う!っていう人、いる?いたらそれはそれで怖いんだよな)

とりあえず、今後は語尾の明瞭さに注意したい。